まどぎわメモリー

カフェポエマーぱりんこのブログです。にいがたに住んでいます。窓際の席から緑を眺めて気力を維持。

結婚式は苦行だし、子どもを育てるなんてホラー。

ポジティブな友人とまさかの共感。

最近、久しぶりに友人と夜ご飯を食べた。

その友人とは、同じバイト先で知り合ってから、なんだかんだゆるゆる7年くらいの付き合いで、半年もしくは1年に一回会えばいいほうだと思う。

たぶん彼女はわたしより2つ年上。

きらびやかで、ニコニコしていて、ポジティブのかたまりのような人だ。

なんでこの人はわたしと友人でいるのだろう…。

そんなことが頭をよぎることもしばしばあったが、先週、半年ぶりにご飯を共にして、ある話題について話したら、友人関係でいることに納得した。

ある話題とは、結婚と出産だ。

 

 

そもそも、知り合ったきっかけのバイトというのは、年金台帳をデータ移行するというもので、ひたすらパソコンに文字を打ち込む作業だった。

当時は年金データが流失!ずさんな年金管理!とかいってニュースで騒がれていて、民間に委託してちゃんとデータ化しましょう、みたいな時期だったと思う。

オフィスの中の1フロアに100人単位で人がいて、それも様々な年齢層の方で、まぁ作業は黙々とひとりでこなすから、会話するとすれば休憩時間くらい。結構気楽だった。

たしか時給は当時の最低賃金(700円台)だったけれど。

 

 

そんなバイトの休憩時間、ひとりでお弁当を食べるわたしに、いきなり「隣、いいですか?」と話しかけてきたのが彼女だった。全く知らない、しかも席が近いわけでも、同じ島(グループのこと)なわけでもないのに不思議だった。(後々きくと、「話しやすそうだったから」と言っていた。)

それからは当たり前のようにお昼をともにし、いつの間にかバイト先の行き帰りは駅まで一緒に行く仲になった。

そんな彼女はどうやら、遠距離恋愛をしている彼氏がいるらしく、「みてみて!」と写メをみせてきたり、地元で仲の良い5人組でよく飲みにいくんだ~というような話をしてくれた。

 

 

ここまで聞くと、全くわたしとは反対のタイプ、決して交わることのないタイプに感じるだろう。わたしはひとりが楽だし、会話しながら食事をするのが苦手だ。地元に友だちなんて、ひとりもいない。むしろ、「地元」というワードすら、どこか自分に似合わないような気恥ずかしさを覚える。

 

夜ごはんを食べに。

新潟で夜までやっているカフェはなかなかない。

みんな、夜ごはんは一体どこで何を食べているんだろう…?

ラーメン以外に選択肢はないのだろうか?

ラーメンは好きだけれど、長居する場所ではないし。

お酒は飲まないし。駐車場があるところがいいし。

あとはサイゼリアしか思いつかない。

なのでいつも、夜ご飯の場所について困る。

今回は夜も営業しているお店を見つけて、とあるカフェに行ってみた。

 

 

店主さんおひとりでやられているようで、今日のおすすめはラザニアで、あとは黒板メニューから選ぶように言われるが「じゃあラザニアを…」と頼むと、「ランチの分で終了してしまいました」とお詫びされる。

「おすすめしていおいて、ないんかい!」と心の中で突っ込む気持ちと、早く別のものを決めなきゃ!という焦りでいっぱいになりながらも、彼女が「じゃあこれとこれにして、分けようよ!」と提案してくれる。こういうところが、一緒にいて楽だなぁと感じるところである。違うタイプでよかったと思う。

 

結婚式はしたくない。

なんだかほとんど魚介系のお皿に囲まれながら、突然彼女がいった。

「来月、友だちの結婚式があるんだ~」

(わたしは彼女が食べられないというムール貝をむさぼっていた。生きてきてこれほど貝を食べたことはない)

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普通、この会話の流れであれば、「どんなドレス着ていくの?」とか「会場はどこ?」とかそんな話になるのだろうか、しかし彼女は続けた。

「わたし、結婚式とか絶対やりたくないんだけど」

 

・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・!?

 

 

びっくりした。

と、同時に「わかる!!!」と握手を求めてしまう自分がいた。

けれど、なぜだろう?

彼女は物怖じしない性格だし、むしろドレスの写真とか旦那さんの写真とかめちゃくちゃ見せたいタイプな気がするのに。

理由をきくと、「恥ずかしすぎて無理。友人どころか、親戚が集まるのとかも無理。あんな高いお金だすなら、違うことに使いたい。父親にも結婚式はしないからね、と言っちゃった」という。ちなみに友人には彼氏がいる。

 

 

それなのに、全然結婚したいと思えないらしい。

こうして、自分のすきなものにお金を使って、自由にごはんに行ってって当たり前のことができなくなるなんて無理だかららしい。

意外だった。

そんなことを考えるのは、自分だけかと思っていた。

アラサー女は、みんな早く結婚して、幸せな家庭を築きたいのかと思っていた。それがフツウの感覚なはずがから、共感されるはずがない自分の想いは黙っておこうと思っていた。

そして、彼女のことを何もわかっていなかった自分にも気が付いた。

インスタグラムで結婚式の写真をバンバンのせちゃうタイプかと思っていたのに・・・・

 

 

なんだろう、単純にうれしかった。

昨年、はじめて結婚式に参列してからというもの、「あんな大勢の人に囲まれてマイクで話して、ずっとニコニコ写真撮られなきゃいけない苦行だったなんて知らなかった。黒歴史しか歩んでないから、スクーリンに映せるものもない。結婚式とは、なんて恐ろしいイベントなんだ…自分がやったらたぶん動悸がして死ぬ」と絶望していたので、自分だけじゃなかったとほっとした。

子育てにいいイメージがない。

子どもの虐待って話をきくと、多くの人が「ひどい~!なんでそんなことするんだろう?」「ありえない!!!」といった反応をするんだろうけれど、 わたしは安易に批判できない。自分にも可能性があると思ってしまうから。

ひとりの時間がなくなって切羽詰まったり、将来のことや責任を感じて自分を追いつめたら、してしまうかもしれない…と怖くなる。

だから、子どもは産まないほうがいいと思っている。

 

 

フツウの人は、そんなこと考えないんだろうな。

と思っていたら、今度は同僚の子に、「わたしもそれ思うし、怖いです」と言われてびっくりした。とても穏やかな子なのに。

同僚ちゃんとわたしは、これまでも似ているなぁと思うことがあったけれど、お互い会話をすることが得意ではないというか、途中から自分でも何言ってるのかわからなくなるところがあるから、うまく噛みあわないことも多い。

 

それでも、ぽつりぽつり自分のことを話していくと、少数派だけど共感してくれる人はいるんだなぁ…と嬉しくなった。

 

 

人と会話をすると、エネルギーを吸い取られた気分になるし、つくり笑顔をしすぎて疲れる。すぐに動揺するし自分の考えていることをうまく言葉にして発することもできない。おまけに体力もないし、聴覚過敏や感覚過敏もある。

自分が生きづらかったから、自分の子どももそうに違いない!と決めつけているふしがあるのは分かる。でも、こんな自己肯定感の低い母親に育ったら、子どもがかわいそうだと思う。

 

自分が予想できないことへの抵抗感がすごく、自分の思い通りにならないとパニックになることも多い。けれど、子どもなんて思い通りになんてなるはずがない。子育てはきっと、予想外なことの連続だ。きっとストレスフルだろう。

しあわせで、心が安定していて、家族に大切に愛されてきた人が、大切に、育ててほしいと思う。

 

少数派でも、生きていく。

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ポジティブな友人も、同僚ちゃんも、外見だけみると多数派にみえる。

 わたしもそう見えているのかもしれない。

だけど、少しずつ話してみると、自分の闇だと思っている部分を分かり合えて安心することができて楽になった。

 

 

たいてい、自分の思っていることを話すと、「えっ…(やや引かれ気味)」とか相手を困らせたりするので、たぶんこれ私だけなんだろうな、という考えは外で出すことをやめた。自分なりに空気を読んでいるつもりだ。

ただ、赤ちゃんの写真を囲んで「かわいいー!」と盛り上がっている空気は居心地の悪さがこの上ないので、トイレに逃げこむか、そっとその場を離れるようにしている。赤ちゃんの写真をみると、「ああ…こんなつらい世界に産み落とされてしまって…」と思ってしまうのだ。

 

 

多数派に合わせる方が楽なことは、圧倒的に多い。

自分のことを全員に、正しく、完璧に、分かってもらうことは無理だから、仕事とか、外用の顔の時は、多数派のふりをしていこう。(それでもダダ漏れ感はある)

 

だけど、どうにも我慢できなかったり、このまま合わせてたらおかしくなる!と思ったり、この人になら話してみようかな、と思えたら、ゆっくり、ぽつりぽつり自分の考えを話してみよう。

こんな感じで、少数派だけど、生きていこうと思う。